村上春樹の新作1Q84
を読みました。
これだけ話題になっているところでわざわざ単行本で読むのはちょっとどうなのだろうとおもいつつも、久しぶりの「村上ワールド」に浸かりたくなり、我慢できずについ予約購入してしまいましたよ。そして、村上春樹を読む時恒例の、週末一気読みしました。
ワタシは、厚めの小説で途中で飽きたり疲れたりすると、本筋に影響なさそうな段落や章丸ごと飛ばしたり、さらには結末だけ読んで後は必要そうなところだけつまみ食いなんてとっても邪道な読み方を時々(イヤ、わりとしょっちゅう)するのですが、村上春樹に限ってはほとんど飛ばし読みができないという、ある意味貴重な存在の作家さんなんです。
大体わかりやすい結末自体用意されていないことがほとんどなので、結末だけ読んだところで意味がないし、そもそもどこを飛ばして良いのかわからないですし。
一旦読み始めると、あっという間にその世界に引き込まれて、その話がたとえどんなに意味不明であろうとも、主人公に全く共感できなくとも、飛ばし読みどころか一行も見落としたくない気分になり、最後まで一気に読み切らされてしまうのは、文学的なことはわかりませんが、凄いクリエイターであることは間違いないと思います。
これって人気シリーズのRPGにはまる男子みたいな感覚なのかなという気もします。結末よりも過程に意味があるってところも似てますね(笑
それで、肝心の1Q84の内容なのですが、前半では重いテーマを提示していて、「あれ今回は結構社会派?」と思わせておきながら、後半はファンタジーのような観念的な世界になって、色々なものを闇に葬ったままに終了してしまいます。海辺のカフカやアフターダーク
のときも、異世界に連れてこられて置き去りにされたような気分になりましたが、今回は前半に、私たちの記憶にも新しい社会派な重いテーマを掲げていたり、多くの伏線や展開がありながら、それら全て放置なので、置き去りというレベルじゃないかもしれません。
面白かったかどうかと言えば、それなりに「おもしろい」のですが、なにかこの後に大きなことをしようとしていて、その前の前座とか前置きみたいな印象がしました。
エピソードと伏線だけで終わった感じがします。
(ただし、この話を「切ないラブストーリー」が主題の物語として読むのなら、完結したと言えるかもしれません。そのためだけに、何もわざわざこれほど重いテーマを持ち出さなくても...と思いますが)
余談ですが、比較的最近の村上春樹でいつも感じる、「置き去り感」。
何かに似ているとおもったのですが、デヴィッド・リンチ
の映画に少し似ていると思います。夢か現実かわからない世界の中で突然結末を迎えるところとか。ストーリーの理解より先にイメージで最後まで見せて(読ませて)しまい、気がついたらその世界に取りこまれてしまうところとか。
そして置き去りにされるところとか。
小説でも映画でも、日常とは違うアナザー・ワールドに連れていってくれるような作品は、個人的には大好きなので、見て良かったと思えますが、きっと作っている側としては、エンターテイメント性だとか、読者や観客にウケようだとかそういうのとは違う視点を持って作っているから、見る人に訴える力があるのでしょうね。
もし、そういう打算があからさまに見えると(ハリウッドのマ○ケル・○イとか)、興ざめしてしまいますし、その世界に引き込まれることもないのでしょう。
話を戻しますが、1Q84はやはり続編でるんでしょうか?
これだけ伏線を張っておいてこれで終わったらどうしよう(でもやりそうで恐い)なのですが、もしこれで完結だとしたら、正に本書で言うところの「ミステリアスな疑問符のプールの中に取り残された」状態です。
それじゃあ25年も前に出版された世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
とかのほうがずっと面白いよ。切ないラブストーリーとしてもこっちのほうがいい。
ひとまずは、Book3(10月-12月)、Book4(1月-3月)がでることを信じましょう。
きっと、デヴィッド・リンチもびっくりの凄い収束をするのだと期待しています。
1Q84 BOOK 1
1Q84 BOOK 2
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)